うきよめぐり

アラサーが仕事を辞めて留学した徒然日記

<オーストラリア> ~ついに到着、留学1日目

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ついに、日本を飛び立つ日が来た…!

 バタついた寮の退去と荷造りについては、またいつか記載しようと思うので、割愛します。見送りに来てくれた方々、ありがとうございました。余裕のなさすぎた私を許してください!見送りがあって心強かったです!本当にありがとう!このことは一生忘れないよ!


 ちなみに、このとき同僚にもらったブレスレットは私のお守りとして毎日つけています。ある日、一つの石が割れていることに気付いて、私の不運を代わりに受けてくれたのではないかと思っています。有難き幸せ。チャームや運について、国によって違う面白さあるので、いつかそのことも記事にしたいと思います。

◆初!ドッキドキのひとり海外渡航

 そんなバタバタを経て、予定通りに出発したカンタス飛行機内では、すでに英語で溢れていました。JALなど日本の航空会社にしていれば、オーストラリアに到着するまで日本語で過ごせたかもしれませんが、日本から離陸前に海外気分でした。航空券に関する私の失敗談がありますが、実にくだらないので今回は割愛しますね。
 上空ではほぼ爆睡か機内食を食べるかという、食っちゃ寝フライトでした。先輩にいただいた首に巻く枕が快適すぎて、より一層眠れました。9時間のフライトを経て、いざ、シドニー空港に行かん!と気合を入れて、飛行機を降りました。気合を無駄に入れる理由は明確で、「入国審査時に英語で答えられるかひたすら不安!」というだけです。質問されるであろう事項の返答英語をひたすら頭の中でグルグルさせながら入国審査へ行くと、なんとビックリ、入国審査がコンピューターまかせでした!しかも、「ジャパニーズ ライトサイド」と日本人のみ機械化され、その他の方はきちんと面接あり!
Why Japanese pepole!?
と思いましたか?思いますよね!?そこで、現地日本人スタッフに聞きました。答えは単純で、日本人は信用されているそうです。
「ええー、それだけ!?」
とマスオさんをビックリな驚きが生まれますよね。私もそう思います。細かくは色々提携とかがあるそうなのですが、簡略的に言うと信用されている、ただそれだけだそうです。そんなこんなで、ドキドキの入国審査はオールスルーで終了。あっけないものでした。日本人でよかった、、、と喜んでいいことなのでしょうか?なぞ。ただ個人的には、パスポートにハンコが押されないのは少し残念です。いつかはどこの国もこのように電子化してしまうのでしょうか。たまに思うのですが、科学の発展とともに人間は必要なくなるのではないかと思うことがあります。まるでSFですが、実際に、昔は国際電話や文通でしか海外とのやりとりはできなかったのが、今ではスカイプなどの利用により顔を見ながら話すことができます。色んなことが電子化して、人がするより正確で速い仕事をするとなると、人間の役割はどんどん減っていってしまうと思うんです。もちろん、機械に感情はないのですべてを賄うのは無理だとしても、、、という話をしていると長くなりそうなので、いつか私の独り言として記事にできればと思います。
 話をあっさりと通り過ぎた入国審査の後まで戻しましょう。

◆待てども来ないお迎え

 キャリーバッグを受け取り、お迎えが来るという場所で待機していました。同じようなお迎えの人がたくさんいて、一人ひとりを確認してみるものの、私のお迎えがありません。まあ、道が混んでいる可能性もあるし、とりあえず待ち合わせに指定された場所で待っていました。のんびり構えて早30分、そろそろ腰が痛くなってきました。なんせ私の荷物は重いんです!なんせ、リュックにノートパソコンが入っていますから!
 もう一度周辺を回ってみましたが、お迎えの人がいる気配なし。どこ行っちゃったのかな~?「遭難時はその場にじっとしていろ」というので最初の場所に戻り、さらに30分待ちました。さすがに遅いし、やばいかなと思い始めました。もう一度辺りを回ったときに、やっと見つけました!は~、お互いにすれ違っていたようでした。いや~よかったよかった。疲れた疲れた。しかも、てっきり外国人の方が迎えに来るのかと思っていたので、日本人の方が迎えてくれて安心感が倍増しました。
 その後、なんやかんやし、昼過ぎにホームステイ先へ行きました。

◆いざ、ホームステイせん!

 家族構成は、父、母、娘、息子、わんこの5人家族です。あともう一人、台湾出身の留学生がいるようです。シドニー郊外のモスマンというところに家があり、周りは住宅街で、まさに映画から飛び出してきたような風景でした。どう見ても高級住宅街です。一時的にお金持ち気分ですね!なんせ家にプールがついてますからね。
 玄関へ行くと、お母さんが迎え入れてくれました。とても優しそうな、だけど気の強そうな印象です。メールでは、お母さん一人だけという話でしたが、渋滞で少し時間が遅くなったからか、お父さんと娘さんもいました。お母さんが部屋の説明や周囲の案内をしてくれましたが、いかんせん英語なもんで、あまりよく、というか半分以上は何言っているのかわかりませんでした!はっはっは!何度も聞き返してやっとわかるという状態です。まあ、予想よりは何言っているかがわかってよかったです。これから1ヵ月でもっと話せるようになりたいですね。
 家や部屋については、以下の記事を参照にしてください。この記事は、私の引っ越し歴とそれぞれの部屋の状態や私の感想の遍歴について綴っています。少し長い記事ですが、オーストラリアにおける引っ越し事情を知りたい方はお立ち寄りください。

ukiyomeguri.hatenadiary.jp



 とりあえず部屋を片付けて、お土産渡したところで、お母さんより「私たちはディナーパーティーに出かけるから、夜は娘に任せてある。じゃあね」的なことを言われました。歓迎会されるとかは思ってなかったけど、さすがビックリしました。自由ですね。娘さんと娘さんの彼氏と弟くんと台湾人の留学生と私という奇妙な夕食でした。食事の時になって初めて台湾人がいることを知りました。お子達3人がさらさらっと英語をしゃべっているのをBGMにパスタを食べました。何を話しているのか、まじで全くわかりませんでした。そして無言の台湾人。奇妙な夕食でした。

そして何もしていないが疲れたので、シャワーを浴び寝ました。

余談

 余談ですが、シドニーの家はだいたいが築40年以上らしく、夏に過ごしやすい造りになっているそうで、とんでもねぇ寒い家ばかりだそうです。いや、まじで寒い!しかも、シドニーは1日で四季を体験できると言われている程、気温の日内変動が激しく、あんなにも昼間は暑かったのに、日が沈むと極寒です。私の出身地である北海道も日が沈むととんでもねぇ寒いですが、室内はストーブがありそれなりに快適です。しかーし、ここはオーストラリア!私ががくぶる震える天気でもタンクトップで過ごす外国人もいます。もちろん暖房をつけるはずがありません。猛烈なる寒がりの私はなかなか寝付けず、寒さをしのぐために腹筋や腕に力をこめてエネルギーを燃焼し、最終手段のホッカイロを初日に出動させ、どうにか寝付くことができました。明日には布団を増やしてもらおうと思います。。。